生と死の境界

夜の自転車動画撮影でもしようかとおもい立って

アンカーさんを下ろしたその時
玄関床に置いてあった鉢植えを倒して割ってしまった

先日、父親が買ってきて置いていったものだ
なにやら気をそがれてしまい、ナイトランと動画撮影は取りやめてしまった

撮り貯めてあった録画を消化したりして時間をつぶしながらも
こころは、モヤモヤしたままだ

入浴して、そろそろ寝ることにしたが

湯船の中で、ふとおかしな妄想が展開していく


「もし、何事もなく出かけていたら・・」
「鉢植えではなく、アスファルトに転がっていたのは自分ではないかと」

そんな、ご都合主義あるわけ無いと、思い返したが

運命の女神は冷たい視線で、僕らを何時だって見つめている事を知っているのだから・・

公道を走っていれば、悲惨な光景は何度と無く遭遇しているし
道端に手向けられた華を見つけることもある

いつ、どこで、自分が当事者になってもおかしくは無いのも事実であり
それは他人事ではないなと、いつもこころに止めてはいるが


「そう、鉢植えは犠牲になったのだ」

あれ? そうじゃなくてだな

「もし鉢植えが割れてくれなかったら、もうこの世とオサラバしていたやも知れない」
という事で

つまりはポジティブシンキングと言うヤツであるんじゃなかろうかと
そう考えてたら、なんとなくモヤモヤは晴れていくのであった



でも実は、無残に変わり果てた鉢植えを発見して憤慨する父親への言い訳を思いついた
だけなんじゃないかとも、考え始めていたのだった。